2019年7月30日火曜日

ももむすめ

 今朝のムスメの朝食は、ももふたつ。産直で買った、わりとお値打ちな桃。
 でもそのお値打ちな桃がわたしにとっては上等なのだ。わたしは甘すぎる果物が好きではないので、ブランドの立派なものよりも、庭でできたような、小ぶりで少し酸味のある果物が断然すきである。
 びんぼうで育ったからそもそもブランドの果物なんてあまり口にする機会がなかったのだけど、去年どこでいただいたのか、ナントカいうブランド葡萄(もちろん種なし!)を食べさせてもらうことがあった。驚くほどの強烈な甘みに目を見張った。
 いつもスーパーの果物売り場で綺麗に包まれて並んでいる果物たちは、こんな味だったんだ!でも何粒か食べるうちに、贅沢にも「もういいや、、、」とおもう自分がいて、それにも驚いた。
 結局おいしく食べられたのは、ムスメにと89歳の祖父が買ってくれた300円くらいの種ありの巨峰だった。それはほどよい酸味があって、本当においしかった。
 そういえば巨峰といえば、以前見た小津映画(たぶん、小津監督のものだったはず)の中で、若い奥さんがひたすら葡萄をたべるシーンがあったなぁ。
 カーディガンだか開襟シャツだかに、地味なスカートを履いて白い前掛けをして、足元はくるぶしまでの靴下(だったような気がする)という昭和の出で立ちの若奥さんが、なにやら文句を言いながら巨峰を一粒頰ばっては種をぷっと出し、それを手で受ける。食べては出し、食べては出し。黙々と葡萄をたべていたシーン。このごろはもう種のある葡萄の方がめずらしいのかもしれない。
 冬に食べた、「甘い」というのを前面に出して売られていた蜜柑も、甘すぎてどうも口に合わなかった。蜜柑なんて続けて3つくらいは普通にたべるのに、甘すぎると次への手がのびない。
 私は子供の頃「毎日果物をたべて暮らしたい」と本気で思っていたけれど、母は滅多に果物なんて買ってくれなかった。例外的に母の大好物の蜜柑だけは毎年箱買いしていたのでいくつでもたべられたけど、いちごとか、桃とか、葡萄とか、そういうのとはやっぱり違うなのだ。
 そういうわけで子供を産んでからは、自分の恨みを晴らすかのように季節ごとの果物をできるだけ堪能することにしているから、我が家の食卓にはわりと頻繁に果物がのる。
 ゆうべ寝室へ行くまえ、例によって台所に置かれた桃を見つけたムスメは「明日の朝は桃をたべる」と決めていたのだ。
 ミルク色の肌にほんのりさしたピンクが愛らしい桃だった。産毛のあるビロードの皮を剥きはじめても、きわめて控えめなその香り。
 種をとるあいだにも、ほんのり乳白色をおびた雫がこぼれてゆく。皮と種はパンの酵母にするため瓶に入れる。ほそいほそい絹糸のような繊維を感じながら包丁でやさしく切り分ける私のとなりで、ムスメはお気に入りの緑がかったガラス製の果物皿を持って待ちかまえていた。
 ムスメは欲張っておかわりをしたけど、さすがにふたつ目は最後までたべられなかったので私がいただいた。
 あんなに好きだった果物を、ムスメのおこぼれだけで良いと思えるようになったのは、私にも母性というものがあるのだなと実感できる数少ない事柄のひとつなのである。

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