2019年7月27日土曜日

きょうの朝食と、贅沢なものについて

今朝は例によってトーストしたパンから始まる。
すももの酵母でつくったパン。でも酵母が弱くて、途中からドライイーストを加えてむりやり膨らませたものです。切ったパンは、ほんとうはトースターで焼くよりも、バターを溶かしたフライパンで、軽く上を押さえながらじわじわと焼いたものが一番おいしいと思う。
 それはトースターで焼いたのとはまるでちがう物になっているのです。表面のほんの薄いところだけがかりっと焼けていて、中は水分をふくんでふんわりしています。バターの少し焦げた匂いも良いし、パンそのもののかおりも倍増しているような気さえする。
 でもどうしてもそんなふうに焼くための時間と手間をかけられなくて(そうしている間にも子供たちが代わる代わるやってきては、抱っこしてだの、髪を結んでだの言ってくるから)、どうしてもトースターにぽいっと放り込んでおしまいということになってしまうのです。
 それでもコーヒーは豆から挽いているから、がんばっていると思う(自分だけのために)。
 でも私には小さな小さな、だけどとても大きな不満があるのです。それは今使っているコーヒーメーカーの存在。夫が勤め先のバザーで買ってきたもので、豆を挽くためのミルが付いたごく一般的なものです。
 控えめな茶色がかった灰色で、だれをも敵にするまいというようなまあるいフォルム。後ろ側には機械に関する説明書きのシールが貼ってあるのだけれど、うちの台所は対面キッチンなのでカウンターの上に置いておくとそのシールも丸見え。それで何が言いたいかというと、私はいつだって「詩」のある物に囲まれて暮らしたいと思っているのだけれど、そのコーヒーメーカーからは、どうしても詩が聞こえないのです。
 コーヒーメーカーが悪いわけでも、それを買ってきた夫が悪いわけでもなく、ただ、詩が聞こえない!それこそがもうどうしても、私の暮らしに少しずつ何か雑音を生じさせているような気がして、なんとももやもやするのです。それが毎日だから、実は結構しんどいのです。それって多くの人にはわかってもらえないことなのだろうか。
 私は贅沢かなと思ったこともなんどもあります。でもたぶんそれは世間のいう「贅沢」とは違って、とても簡素なもの、「詩」のある物に囲まれて暮らしたいという願望だけ。
 白いお皿、金の縁かがりのついたカップ、電気の通らないガラスのコーヒーメーカー、ひんやりとしたタイルが貼ってある台所と洗面。みずみずしい果物と甘いパン、しゃっきりした野菜に新鮮な魚と肉。夢のような卵料理。りんごのお酒。白い綿のシーツのはられた大きなベッドにお気に入りの本だけが並べられた本棚、、、。
 上を見ても下を見ても、ふりかえっても、どこを見ても、詩が聞こえてくるものばかりに囲まれて暮らしたい!私は心底そう思って生きています。
 でもそれがこんなに難しいなんて。たまに絶望的な気持ちにもなる。

 そんなことを毎日考えながら、今日も、トーストしたパンを隣の息子に食べられ、その間にも息子は自分のお茶漬け(こちらも御多分に洩れず)をぼろぼろこぼすのでそれをひろいながら、またはんたい隣のムスメに「おかあさんにたべさせてもらいたい」とせがまれてプリンセスふりかけのかかったご飯をたべさせてやりながら、私の朝食は忙しなく一瞬で過ぎていったのでした。

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